掬星台に着いてしばらくは写真を撮っていたもののこれだけで帰るのはもったいないと思い、かつて行ったことのない現在の天上寺に行ってみることに。
掬星台から徒歩7分ぐらいのところに「オテル・ド・摩耶」があるので、それを横目に天上寺へ。
オテル・ド・摩耶も平日の16時前だし、レストランには誰もいなかった。
裏口ではなく、普通に入ろうと思うと大回りが必要だった。

本堂には大きな仏像が何体も並んでた。
ただ平日の16時前、参拝客は管理人以外にいるはずもなく、視線をずっと感じるのでそこそこで退散。
再び掬星台に戻る途中に滑り台を発見。
かなり長そうだったので滑り台横の階段を上って滑ってみた。
これがあまりうまく滑れない滑り台で、自分で両端を持って何回も勢いをつけて羽目に。
そんな状態だったので滑り台の写真は撮らず(笑)
掬星台に戻ってきてどのルートで帰るか悩んだものの結局摩耶の大杉が気になるので来た道を戻ることに。
帰りは行きの天狗岩のところの手前から下りた。
ここから下りると「森林浴コース」の方に出るはず(実際標識のところまで着いたら「森林浴コース」の方だった)。
「森林浴コース」は下るには楽やったけど、登りならこれもしんどかったと思う。
結果的に天狗岩に行けたのでさっきのルート選択は正解。
順調に下ってさっきの摩耶の大杉のところまで下りてきた。

ここで一旦下りるのをやめて摩耶の大杉の方へ歩く。
いきなり道らしくなくなったので一瞬焦るもすすむと、杉は姿を現した。
写真ではわかりにくいけど、大きい。

大杉と言われるだけのことはある。
写真を撮った後はまたひたすら下りる。
帰りはケーブルの駅を通るルートで下りた。
小学生の頃、見た廃墟(摩耶観光ホテルほどではないけど、途中にある)はいまだ健在だった。
昔はあの前をみんな怖がって走りぬけたなんてことを思い出しつつ下りる。
下り始めてから20分ほどでケーブルの駅に到着。
ほとんど休憩もとらず、またひたすら歩き始める。
登りは体力的にしんどいけれど、下りは足を踏み外して転落しないかという別の心配がある。
実際一度落ちかけたことのある管理人、慎重に歩く。
歩くこと40分、無事に登り始めた地点に到着。

そこからまた歩くこと30分、無事家まで到着。
時間は17時10分。
家出たときは18時回るかと思ってたから予想よりも早い帰宅。
なかなか心地よい疲れ。
山の中を汗びしょびしょになって歩いてたら何だか原点に戻れた気がした。
くだらないことも忘れられたので、登った意味があった。
掬星台から徒歩7分ぐらいのところに「オテル・ド・摩耶」があるので、それを横目に天上寺へ。
オテル・ド・摩耶も平日の16時前だし、レストランには誰もいなかった。
裏口ではなく、普通に入ろうと思うと大回りが必要だった。

本堂には大きな仏像が何体も並んでた。
ただ平日の16時前、参拝客は管理人以外にいるはずもなく、視線をずっと感じるのでそこそこで退散。
再び掬星台に戻る途中に滑り台を発見。
かなり長そうだったので滑り台横の階段を上って滑ってみた。
これがあまりうまく滑れない滑り台で、自分で両端を持って何回も勢いをつけて羽目に。
そんな状態だったので滑り台の写真は撮らず(笑)
掬星台に戻ってきてどのルートで帰るか悩んだものの結局摩耶の大杉が気になるので来た道を戻ることに。
帰りは行きの天狗岩のところの手前から下りた。
ここから下りると「森林浴コース」の方に出るはず(実際標識のところまで着いたら「森林浴コース」の方だった)。
「森林浴コース」は下るには楽やったけど、登りならこれもしんどかったと思う。
結果的に天狗岩に行けたのでさっきのルート選択は正解。
順調に下ってさっきの摩耶の大杉のところまで下りてきた。

ここで一旦下りるのをやめて摩耶の大杉の方へ歩く。
いきなり道らしくなくなったので一瞬焦るもすすむと、杉は姿を現した。
写真ではわかりにくいけど、大きい。

大杉と言われるだけのことはある。
写真を撮った後はまたひたすら下りる。
帰りはケーブルの駅を通るルートで下りた。
小学生の頃、見た廃墟(摩耶観光ホテルほどではないけど、途中にある)はいまだ健在だった。
昔はあの前をみんな怖がって走りぬけたなんてことを思い出しつつ下りる。
下り始めてから20分ほどでケーブルの駅に到着。
ほとんど休憩もとらず、またひたすら歩き始める。
登りは体力的にしんどいけれど、下りは足を踏み外して転落しないかという別の心配がある。
実際一度落ちかけたことのある管理人、慎重に歩く。
歩くこと40分、無事に登り始めた地点に到着。

そこからまた歩くこと30分、無事家まで到着。
時間は17時10分。
家出たときは18時回るかと思ってたから予想よりも早い帰宅。
なかなか心地よい疲れ。
山の中を汗びしょびしょになって歩いてたら何だか原点に戻れた気がした。
くだらないことも忘れられたので、登った意味があった。
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